築城年代は定かではないが、承久年間(1219年~1221年)頃に薬師寺阿波守政村によって築かれたと云われる。
『城跡記』では「主将薬師寺阿波守政村、其子左衛門尉政氏、其子阿波守政盛、其子左衛門尉貞光、建長六年八月十五日、鶴カ岡放生会、将軍御供、阿波四郎兵衛政氏トアリ、足利代、同次郎左衛門、文武達人、応仁ノ頃、細川勝元ノ臣薬師寺與一迄相続セリ、」とあり、代々薬師寺氏が続いたようである。
井戸城は字「城ノ内」一帯を中心として築かれていた。『日本城郭大系』には「東北面に土塁が二重、水堀が一重、北面には水堀が二重に存在している」とあるが、現状は宅地や田畑となっており、遺構はよくわからない。
『徳島県の中世城館』によれば、「旧城大明神」と呼ばれる城主を祀った祠があるというが、これも見つけられなかった。