建武3年・延元元年(1336年)細川和氏によって築かれたと云われる。 足利尊氏が京都での戦いに敗れて九州へ落ちる途中、阿波守に任ぜられた細川和氏と細川顕氏らは四国へ渡り兵を募った。和氏は豪族秋月氏に迎えられて秋月城を築き居館としたという。
秋月城は和氏のあと、弟細川頼春、子の細川頼之と三代にわたり居城となったが、頼之が管領として上洛すると弟詮春は勝瑞城に移った。 その後は秋月氏の居城となり戦国時代まで続いたという。
秋月城は谷川に沿って南へ伸びた平地に築かれている。 県道139号線が城跡を南北に分断する形で通っているが、北側の墓地の入口に石碑が建っている。
県道より北はやや高台となり、西は神明池と谷川、東も堀が巡らされ南北に長い平城であった。
ここから北東にある高丸と呼ばれる山には望楼があったと伝えられるが、現在は堀切などの防御施設は見あたらず、(おそらく)「秋月城天守之址」と刻まれた石碑が建つのみである。
この天守址へ登る遊歩道の入口に細川和氏のものとされる五輪塔がある。ここはかつて和氏によって創設された補陀寺跡で、その後に阿波国安国寺となった所である。
切幡寺の入口の県道139号線を東へ進んでいくと左側に秋月城址がある。和氏の墓はここから北東側に見える櫓風の展望台の下で車でもあがることができる。天守址は櫓風の展望台よりさらに上にある。
最寄り駅(直線距離)