阿波 郡城あわ こおりじょう
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築城年代は定かではない。『阿波志』では柿原某、『阿波郡誌』では柿原孫四郎を城主とする。柿原孫四郎は貞治元年(1362年)の讃岐での白峰の合戦で討死したという。
石碑の碑文によれば、原田孫四郎がこの地に築城し、戦国時代の原田大和守信久に至るという。
郡城は吉野川と九頭宇谷川の合流地点に築かれていたが、河川改修などによって地形は大きくかわっている。
現在、九頭宇谷川と指谷川が吉野川に合流する場所の堤防下に石碑が建てられているのみで遺構はない。