築城年代は定かではないが麻植氏によって築かれたと云われる。 麻植氏は清和源氏で山田俊氏が細川頼春に従って阿波国美馬郡貞光に入部し、後に美馬九郎右衛門と称した山田太郎重時が、細川頼之に仕えて麻植郡飯尾村で百五十貫の地を賜って飯尾に住み、忌部神社の大宮司の養子となって麻植氏を称したことに始まるという。
天正7年(1579年)麻植志摩守重俊は三好方として脇城外で長宗我部方と戦い討死した。
飯尾東城はすずらん保育園の西側一帯に築かれていた。 現在周囲は宅地や田畑となっており遺構はないが、麻植氏発祥の地として石碑が建っている。
吉野川市役所の西側の県道31号線を南下し、県道240号線との交差点にでる。交差点を西へ曲がると北側に「すずらん保育園」がある。その横に「河野内装フスマ」の看板のかかる店があり、その脇に北の畑に向かって入る小路がある。それを奥に入り右奥を見ると石碑が見える。
最寄り駅(直線距離)