貞和2年・正平元年(1346年)森左近将監備前守春之によって築かれたと云われるが定かではない。 森春之が秋月城の支城として築いたのが始まりだという。
天文年間(1532年〜1555年)の城主は岡本美作守清宗で百貫を領し細川持隆に仕えていた。この清宗の娘が小少将局で、細川持隆の側室となって細川真之を産んだ。持隆が三好義賢によって討たれると義賢の正室となり、三好長治・十河存保を産んでいる。
天正10年(1582年)長宗我部氏によって攻められ落城した。天正14年(1588年)蜂須賀家政は阿波九城の一つとして改修し、家臣森監物を置いて守らせた。
西条東城は一條神社の南西側にあったというが、現在宅地や田畑となっており、西条東城の石碑と森監物を祀る小祠が民家脇にあるのみで遺構はない。
県道15号線沿いにある一條神社から西へ進んでいくと北側にja-ssの看板がある。この南側に民家の方に入って行く細い道があり、その奥の右側に石碑と小祠がある。
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