城主は『城跡記』では承暦永保(1077年~1083年)頃に佐渡前司重宗の嫡、佐渡源太重実で、源頼光の孫なり、とする。
源太城の位置ははっきりしない。『阿波志』には「柿原二條里に在り蓋柿原氏居る所」とあり、現在の柿原字二条の辺りにあったと考えられているが、『徳島県の中世城館』では聞き取り調査の結果でも情報は得られず不明とする。地図の位置は字二条の八幡神社の辺りにしている。
柿原と知恵島を結ぶ源太渡しは、この源太城にちなんだものと云われ、国道318号線阿波中央橋北詰を東に曲がってすぐのところに石碑がある。