築城年代は定かではないが南北朝時代頃には存在したと云われている。
天文年間(1532年〜1555年)には本山城主本山清茂が勢力を伸ばしており、長浜城とともに浦戸に城を築いていた。
永禄3年(1560年)長宗我部国親に攻められ落城し、国親は親貞を城監とした。天正16年(1585年)長宗我部元親は岡豊城から大高坂に築城しようとしたが治水が思うようにいかず、浦戸城に天守を設けるなど改修してこれを居城とした。
関ヶ原合戦で長宗我部氏が改易され、土佐一国が山内一豊に与えられると、一豊は浦戸城を受け取りにきたが、長宗我部氏の遺臣が入城を拒み50日もの間抵抗した。しかしこの一揆も鎮圧され一豊は浦戸城に入城した。入城間もなく一豊は大高坂の地に高知城を築城し廃城となった。
浦戸城は浦戸湾に半島状に突き出した岬に築かれていた。
本丸は『桂浜荘』や『坂本龍馬記念館』のある所で、天守台とされる高台があり、その脇に石垣が残されている。
一番南の駐車場の所にも案内板があり、ここから西へと続く尾根が公園となって遊歩道があるが、この先に曲輪跡と三重堀切が残されている。
城門(移築 城門)
桂浜の近くで桂浜の駐車場は雄利用であるが、『桂浜荘』や『坂本龍馬記念館』の駐車場が利用できる。また海岸沿いの県道付近にも駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)