築城年代は定かではないが細川氏によって築かれたと云われる。
管領細川頼之の後裔といわれる源重(細川重)が十市に入部して栗山城主となったのが始まりとされる。四代細川国隆(宗桃)の嫡男は備後守、二男は池城主となった細川豊前守頼定であった。天文18年(1549年)岡豊城主の長宗我部国親によって攻められ降伏した。
五代細川備後守は長宗我部元親に従って功があり、天正2年(1574年)幡多郡の吉奈城の城主となった。
栗山城は四国八十八箇所霊場の第三十二番札所禅師峰寺(ぜんじぶじ)から東へ伸びた丘陵に築かれており、主郭には詰八幡が祀られている。
主郭(詰)は東西に長い楕円形で土塁が巡り、その東端に詰八幡神社が鎮座している。 主郭から南東へ伸びた尾根に段曲輪があり、参道はさらに東へと続いているが堀切はなく、そのまま自然地形になっている。一方西は曲輪と思われる平坦地形が禅師峰寺の参道近くまで続いており、途中二ヶ所の堀切がある。また北側に向かって無数の帯曲輪が展開しており、畑跡とも考えられるが段曲輪遺構かもしれない。
詰八幡神社の参道は東麓にあるが入り組んだ路地の先で分かりづらい(地図)。
わかりやすいのは麓から禅師峰寺に登る遍路道の途中に「尾根路散策コース」という案内板があり、そこから尾根伝いに行くことができる。ただし、山道は非常に荒れていて踏み跡もロストし易いので注意が必要である。
最寄り駅(直線距離)