築城年代は定かではないが天竺氏によって築かれたと云われる。 天竺氏の出自は詳らかではないが、守護職細川氏の一族と考えられている。
天竺氏の後は津野氏の城となり、天文15年(1546年)津野基高が一条氏に降って一条氏の家臣が在城した。
天文16年(1547年)頃に長宗我部国親が大津城を攻め取り、以降は長宗我部氏の持ち城となった。天正2年(1574年)一条兼定が豊後へ追放されると、長宗我部元親は一条内政を大津城へ迎え大津御所と呼ばれた。
大津城は舟入川の南岸に面して東西に伸びた独立丘陵に築かれている。 現在、主郭部に古城八幡宮が祀られている。
北から階段で上る古城八幡宮の参道がそのまま堀底道となって境内に達しているが、この間に堀切があり東西に分かれた曲輪となっている。神社のある西側より東側が一段小高く、土塁が巡り、南東隅に虎口が残る。この虎口から南下へ降りると、主郭の南側を横堀が巡り、西曲輪へと続く。
神社の西側に土塁が付き、その下側に東西に分断する堀切がある。堀切から西は広く削平地された段が続き、さらに堀切を経て西端の曲輪に至る。
国道195号線、土佐電鉄ごめん線清和学園前駅の南にある丘陵が城山。北側の国道沿いに参道の階段があり、その脇に案内板と石碑が建っている。
最寄り駅(直線距離)