築城年代は定かではない。城主は石谷民部少輔重信であった。 石谷氏は細川氏の末流で大嶋大明神社の神職を兼ねていた。
岡豊城に復帰した長宗我部国親が周囲の諸勢力を広げると石谷重信もこれに降り、城を明け渡して大嶋大明神社に居住した。所領は二千石から一千石に削られたという。その後は久武内蔵助親直に与えられた。
布師田金山城は国分川に面した山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭は東端南側の最高所にあり、土塁が巡る小さな曲輪で南に虎口を開く。二郭は主郭の南下から東側を巡っており、その北側に少し高くなった曲輪iiiがある。曲輪iiiも土塁囲みであるが、西側が分厚くなっており、この曲輪iiiをl字に防御するように横堀1と3で西は二重、北は横堀1と堀切2で二重堀切となる。
曲輪ivは曲輪iiの下部に辺り、北は二重堀切に面して土塁、西も曲輪iiと同様に西端に土塁を設けている。曲輪ivの南東に虎口地形があり、南東尾根側に続いている。
主郭から西に少し離れた場所に曲輪viiがある。曲輪viiは東が二重堀切6、西に堀切7とやや離れて堀切8を設けている。出丸と考えることも可能であるが、東尾根が二重堀切であることなどから、東の主郭部を築城する前、布師田金山城の古城と考えることも可能だろうか。
南麓のja高知布師田支所と西谷公民館の間に布師田ふれあいセンターがあり、ここが登山口。公園に駐車場や案内板ある。
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