築城年代は定かではないが吉田氏によって築かれた。 吉田氏は山内首藤氏の末裔で滝口俊宗が相模国吉田荘に居住して吉田氏を名乗り、その末裔が足利氏に組みして戦功をあげ、土佐国長岡郡吉田に所領を得て来往した。
吉田周孝は長宗我部兼序の妹を妻とし、永禄4年(1561年)井口城主となる。周孝の弟備後守重俊は上夜須城主となりその武勇をもって「大備後」と称され、その次男江村備後守親家は「小備後」と呼ばれた。
長宗我部氏が改易となった後は一族離散して生駒氏、藤堂氏、堀田氏、山内氏に仕え、幕末の土佐の家老吉田東洋はその子孫である。
現在は田園の中に埋もれているが東側を除いて土塁が残され、その一角に「吉田備後守邸跡」の石碑が建っている。
車道からは離れ、民家の裏側の路地を水田に行くとちょうど石碑の建つ土塁跡へと出ることができるのだが、非常にわかりづらい。 唯一の目印はカフェであり、その案内に従って行きカフェの裏の未舗装の農道を水田へと歩いて行く。
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