築城年代は定かではない。城主は井口勘解由で本山氏に属していた。
永禄3年(1560年)長宗我部元親は井口城を攻略するため、井口勘解由と親しかった吉田周孝に説得させようとしたが失敗し戦闘となった。 はじめ井口氏が吉田軍を敗走させ優勢であったが、追撃した勘解由が長宗我部軍の弓矢に倒れると劣勢となり落城した。
井口城は護国禅寺の北、宮前保育園の南にある丘陵に築かれていた。 現在周囲は宅地開発などにより城山も大半が削られてしまっているが、山頂部のみわずかに残っている。この部分は北側が公園となっている。
宮前保育園の南側にある公園から登ることができる。
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