築城年代は定かではない。城主神森出雲は伊予の河野氏の一族だといい、本山氏に属していた。
永禄3年(1560年)長宗我部元親の家臣福留隼人・中島大和などが神森城を攻め落城した。この時よくある白米伝説などが残る。
神森城は標高299.9mの鴻ノ森山頂に築かれている。 山頂が平たくなった山容はまさしく城山で、この辺りではひときわ目立つ山である。
主郭は山頂にあって案内板が設置され眺望も良く整備されている。主郭部は山頂から東へ二郭、三郭、四郭と段々と連なるが、間に堀はなく土塁と切岸による防御のみとなっている。二郭からは南北に虎口があり、南は東下の三郭へ、北は主郭の四方を巡る腰曲輪にいたる道になっている。この主郭部とは別に主郭の北西から西へ伸びた尾根に四段の曲輪があり、ここも一部土塁が付いている。
主郭は四方に土塁が付いていたようであるが、現在は大半が低くなってしまい東側が明確にわかる程度である。東下の二郭は三方に土塁が巡る。三郭と四郭は、みかん園の時代に重機が入って原形を留めていない。
二郭から北へ降りると主郭の下を巡る腰曲輪がある。この北西部分から尾根下に降りる道があり、これを降りると西尾根に続く曲輪群に出る。この曲輪群は尾根伝いに四段の削平地を設けており、先端部など一部に土塁が残っている。
もともとはみかん園で、山頂付近は公園として整備されている。山頂近くまで車道が付いているが、中腹以降は車止めがあり徒歩になる。車道の終点からは遊歩道がそのまま山頂に通じている。
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