築城年代は定かではない。
本山氏の家臣で秦泉寺城主であった吉松掃部頭茂景は弘治2年(1556年)に長宗我部国親、永禄3年(1560年)には長宗我部元親によって攻められ、永禄3年(1560年)長宗我部氏に降った。その後、景茂は秦泉寺城よりこの万々城に移された。
万々城は熊野三所神社の東隣にある南東へ伸びた尾根に築かれている。
比高25m程の丘陵の北背後を大堀切で断ち切り、北へ続く尾根には多重の堀切と竪堀を設けて遮断している。ただこの部分は堀底状の道になっているので形状はいまいちはっきりしない。
主郭は北の最高所とみられ、西と北に部分的に土塁が残っているが、倒れた墓石があり墓地になっていたようである。城はここから南東の尾根に削平地を連ねているが、現在大半は畑になっている。
円行寺口駅の東側から北へ続く県道270線で北上し、初月小学校付近になると熊野三所神社への道標がある。神社の境内から右を見ると堀切が明確に見える。
最寄り駅(直線距離)