築城年代は定かではないが康暦2年・天授6年(1380年)頃に細川頼益によって築かれたと云われる。 頼益は四国管領土佐守護細川頼之の一族で、土佐守護代として下向し香美郡田村荘に館を築いて拠点とした。
応永15年(1408年)頼益が没すると満益が守護代となり、満益の後は持益が守護代となった。細川持益は周囲の名主や荘官を被官化して権力の強化をはかった。応仁元年(1467年)持益が没して勝益が継ぐと応仁の乱では細川勝元を支援して上洛するが、次第に勢力を失い、在地の土豪・国人が台頭していった。
田村城は居館を拡張した復郭の平城であったと思われる。 南北に走る県道31号線の西側に八幡社が祀られているが、ここれが土塁跡で県道に沿って南北に残っている。地籍図で「城」とされるのはこの西側一帯で、周囲を散策すると所どころに土塁の跡と思われる土盛の残欠が残っている。
県道31号線が高知龍馬空港の下をトンネルで潜っているが、その北入口の所に田村東部公民館がある。ここに案内板と石碑が建っている。その横に八幡神社がありここの土塁が一番よく残っている。
最寄り駅(直線距離)