築城年代は定かではない。
案内板によれば城主は不明で南北朝時代に北朝方に属していたのではないかと書かれている。
日本城郭全集によれば、蓮池城主大平氏の属城で城主は木塚左衛門。天文9年(1540年)一条氏により周辺の芳原城・諸木城・森山城とともに木塚城も降った。永禄3年(1560年)には長宗我部元親に攻められ、城将左衛門大夫が降った。とある。
木塚城は北の山塊から南へ派生した尾根に築かれていた。 現在城址は南国温泉観光(入浴施設)が建ち遺構は残っていない。
削られたなぁと思って施設の駐車場に車をとめると、発掘調査の内容まで書かれた案内板があった。どれだけの人がこの案内板に目を通すかわからないが、これはこれで非常に有りがたい。陽も暮れてきたことだしついでにジックリ温泉を堪能したきた。