土佐 長浜城とさ ながはまじょう

城郭放浪記


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土佐 長浜城の写真
掲載写真数
形態
山城(50m/50m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
郭,堀
城 主
大窪美作守
歴 史

築城年代は定かではないが本山氏によって築かれたと云われる。 城主は本山茂宗の子大窪美作守と伝えられる。

永禄3年(1560年)長宗我部国親は長浜城を奇襲してこれを落とし、それまで婚姻関係にあり小康状態を保っていた長宗我部氏と本山氏との争いに発展することとなる。

この長浜城の奇襲には伝承があり、対岸にある長宗我部氏の種崎城にいた福富右馬允というものが種崎城で火を発した咎によって放逐された。右馬允は長浜へ逃れて大窪美作守に仕えることとなり、築城技術に長けていた右馬允は長浜城の工事を手掛けていた。 ある時、長宗我部氏が大津から種崎へ兵糧を積んだ船を出した所、本山氏がこれを襲って兵糧を奪う事件があった。国親はこれを口実として長浜城攻略の奇策を巡らせる。 国親は種崎城代に長浜城にいる福富右馬允を呼び出して城内より手引きさせるよう命じた。罪を許して帰参を許そうと持ちかけられると、右馬允は喜んで引き受けた。永禄3年(1560年)5月26日の夜、種崎にいた長宗我部軍は密かに渡海し長浜城に攻め込んだ。長浜城主大窪美作守はこの奇襲に驚き城を脱して朝倉城の本山茂辰に援軍を要請した。茂辰は二千五百余りの兵を率いて長浜城に向かい、長宗我部国親は一千余りの兵をこれを迎え撃った。この戦いが初陣であった長宗我部元親は目覚しい働きを見せ本山氏は浦戸城へ逃れた。長宗我部軍もこれを追って浦戸城へ押し寄せたが、長宗我部国親が病に倒れ岡豊城に引き上げた。この時、長浜城は破却されたという。

説 明

長浜城は浦戸湾の西、新川川の北にあり、四国霊場三十三番札所雪蹊寺の北の山に築かれていた。

山の北側は月見ヶ丘団地として造成され消滅している。詰、二の段などが残っているといわれるが、明瞭な遺構は見当たらない。

南の麓にある雪蹊寺と秦神社に長浜城の案内板があり、長宗我部信親の墓が残っている。

案 内
最寄り駅(直線距離)
4.3km 桟橋通五丁目駅
4.4km 桟橋車庫前駅
4.7km 桟橋通四丁目駅
5.0km 桟橋通三丁目駅
5.2km 桟橋通二丁目駅
所在地/地図
高知県高知市長浜字城山
付近の城(直線距離)
1.9km 土佐 横浜城
2.1km 土佐 光清城
2.1km 土佐 内の谷城
2.9km 土佐 雀ヶ森城
2.9km 土佐 浦戸城
3.1km 土佐 土佐藩 浦戸砲台
3.2km 土佐 鷲尾城
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4.2km 土佐 柏尾山城
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6.3km 土佐 国沢城
6.3km 土佐 鴨部城
6.4km 土佐 森山南城
6.5km 土佐 高知城
6.6km 土佐 森山城
6.7km 土佐 仁ノ城
最終訪問日
2009年12月
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