築城年代は定かではないが嘉応2年(1170年)頃に蓮池家綱によって築かれたと云われる。 蓮池氏は平重家の家臣近藤家綱が蓮池の地に居城を構え蓮池氏を名乗ったことに始まる。
寿永元年(1182年)蓮池家綱は平田俊遠とともに、平家打倒の兵を挙げた源頼朝の弟源希義を年越山で討ちとったが、まもなく伊豆右衛門有綱と夜須行宗によって攻められ討たれた。
建久3年(1192年)藤原国信が蓮池城を居城として大平氏を名乗り、以降大平氏の代々の居城となった。永正5年(1508年)大平元国は本山氏・吉良氏・山田氏などと岡豊城の長宗我部兼序を攻め敗死させた。天文年間(1532年〜1555年)になると一条氏が津野氏に攻め込み天文12年(1543年)一条房基は津野基高を戦った。大平氏は本山氏とともに津野氏に援軍を送ったが敗れ、天文15年(1546年)大平氏は一条氏に降った。
弘治3年(1557年)南土佐に進出してきた本山茂辰は森山城・秋山城を攻略して仁淀川を渡り蓮池城をも奪った。永禄3年(1560年)本山茂辰は長宗我部元親と争うとその隙を付いて一条氏が蓮池城を取り戻したが、永禄12年(1569年)吉良城主吉良親貞が計略をもって蓮池城を奪い、戸波城へ逃れた城兵を追って戸波城をも落とした。
蓮池城は吉良親貞に与えられ、子の吉良親実が城主となった。吉良親実は戸次川合戦で討死した長宗我部信親の後継争いで盛親の家督相続に反対し、元親の怒りをかって比江山親興とともに自刃させられた。
蓮池城は波介川の北岸にある小高い独立丘陵に築かれている。現在は城山公園として整備されている。
蓮池権頭家綱を祀った蓮池神社が建つ地が一番高く主郭であろうか。そこから東へ伸びた尾根がさらに南北に分かれ曲輪となっている。全体的に公園になっているので空堀や土塁などは見当たらない。
東麓には吉良親実を祀った吉良神社がある。
国道56号線を土佐icを過ぎて西に進むと南側に消防署がある。その脇の道を南下すると公園の駐車場がある。
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