築城年代は定かではないが津野氏の属城として築かれたのが始まりとされ、後に、一条氏によって攻略され、福井玄蕃が城主となっていた。
永正14年(1517年)津野元実は戸波城の奪還を企てたが、久礼城主佐竹掃部頭が一条方の援軍として駆けつけ、元実は恵良沼で討死した。
永禄12年(1569年)蓮池城を攻略した長宗我部軍は、翌元亀元年(1570年)戸波城も攻略、長宗我部元親の従兄弟である長宗我部右衛門親武が戸波城主となった。
戸波城は土佐PAの南側、東西に伸びた標高100mほどの江良山に築かれている。
大規模な山城で、東の本城部分と西の出丸部分に分けることができる。
東の本城部分は山頂の主郭を中心に東西北と三方の尾根に曲輪を配しており、いずれの曲輪も規模が大きくドッシリと構えている。
主郭部は竹藪になっているがもともとはミカン畑になっていたようで貨物レールも残されている。東に続く尾根下に北と南に竪堀が伸びているが、もともと堀切なのか改変された形跡がある。東端の曲輪は長く、先端に堀切を設けている。
対して西の出丸とされる部分は曲輪の規模は小さいが東背後を遮断する堀切と切岸は圧巻の規模で、さらに脇には畝状竪堀群を設ける。一方、尾根先側も岩が露出した急坂であるが、西から南にかけて大規模な岩盤畝状竪堀群があり、この城の最大の見どころといえる。
石碑は西出丸の南下あたりの県道沿いにある。登山道は東端南麓の民家の脇から入るのだが、道はないに等しい。
民家の脇の細い路地を登り一段上がると西側に貨物レールがある。道は反対の東側あたりから登って行くことになり下のほうは踏跡程度、上に登って行くとしっかりした山道になる。
最寄り駅(直線距離)