築城年代は定かではない。
永禄2年(1559年)城主の内藤季有は杉崎大和守と氷上郡の赤井氏とともに八木城の内藤宗勝と戦ったが、赤井氏が八木城方に寝返った為、季有は敗れたという。
永禄7年(1564年)の城主は内藤安芸守季行であったが、季行が謀叛を企てているとの密告を受けた八木城主内藤宗勝は、内藤和泉守に兵を与えて高山城を攻めさせた。
藁無城は林松禅寺の北西背後に聳える標高270mの山頂に築かれている。 麓の林松禅寺は城主内藤氏の館跡とも伝えられる。
南北に伸びた山頂部の南端が最高所で主郭となり、南北に低い段差で曲輪が連なる。東側は帯曲輪となって段々に連なる曲輪の外側を南北に一直線に伸びている。北尾根は一条の堀切で遮断している。
南東麓の林松禅寺の墓地からつづら折れの山道が付いている。治宮神社の横から山上に林道が付いており、これを使って北尾根からアクセスすることも可能である。
最寄り駅(直線距離)