詳細不明。陶氏の出城という。
七尾山城は現在の国道2号線と県道3号線の土井交差点の北西側に築かれていた。
『未指定文化財総合調査報告書』によれば現在の国道2号線により分断されているということであるので、北側の城山団地と南に少し残された部分が城域であったようだ。団地の北側に少しだけ山が残されていたので登ってみた。南端の最高所はそれなりに平坦で、北へ行くと一段低くなり、そこから緩斜面地形が北へ続いている。この部分は東側の急斜面に面して土塁状に残されているのだが、緩斜面部分には重機が入ったような形跡もあるため、後世の改変によるものかもしれない。現状では遺構は見あたらない。
国道の南側に建咲院(地図)がある。建咲院は陶興房が父弘護を弔うために建立した寺院で、陶興房の墓が残っている。