詳細不明。はじめ在地豪族の平原氏の居城で、後に大内弘世が北朝に味方した鷲津氏と内藤氏を攻めるため陶弘政に命じて砦を構え末武城を攻めさせた。後は野上氏が城主になったという。
遠尾山城は標高288.4mのとおの山に築かれていたという。
山頂部は公園になって展望台が設置されており、旧状はやや失っているようである。周囲にはやや切岸状の地形が確認できるが、確認した範囲で堀切などは残っていない。城跡らしき平段は山頂から西下へ降りた所に緩斜面地があり、そこから北西側へ降る尾根に若干切岸加工された平段を確認できる。
登山道はいくつかあり、徳山高専の西(地図)や滑口(地図)などがある。今回は後者から続く林道を歩いた。
最寄り駅(直線距離)