周防 都濃宰判勘場すおう つのさいばんかんば
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慶安3年(1650年)萩藩毛利氏によって築かれた。 都濃郡は萩藩毛利本家と徳山藩毛利氏によって分割支配されていたが、萩藩毛利本家の所領を管轄するために設けられたのが都濃宰判勘場で花岡宰判勘場とも呼ばれている。
都濃宰判勘場は山陽道に面した場所にあり、花岡小学校の南にある四恩幼稚園の入口脇に築かれている。道路と西の小川に面して石垣が残されており、石碑や案内板が設置されている。