信濃 桝形城しなの ますがたじょう
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詳細不明。釈尊寺に所属した楽巌寺氏や布下氏に呼応した神興寺関係による砦と考えられている。 天文17年(1548年)武田信玄によって楽巌寺城、堀ノ内城が落城しており、この桝形城もこのとき落城したと推測されている。
桝形城は千曲川に面した段丘の北端部に築かれていた。現在は「布引温泉ころも」が建っており、遺構はないが入口に桝形城の石碑が建っている。
「長野県の中世城館」に掲載されている図面によれば、北端部分を曲輪として 台地から切り離すように南側に堀を設けていたようである。