築城年代は定かではない。 『諏訪御符礼古書』には文明18年(1486年)に「手代塚・依田四郎衛門安満 御符札一貫八百」とあり、この頃には手代塚城が築かれていたとも考えられる。
その後、長尾安芸守祐景の居城となっており、祐景は武田氏との戦いで討死した。 永正17年(1520年)に岩尾城主で武田氏に敗れた大井弾正が手代塚城を訪れたときに、長尾安芸守の五輪塔があったという。
手代塚城は小諸城の西方にあり、千曲川による段丘の南端に築かれている。
深い空堀で区画された曲輪が東西に三つ並び、西端にある一番高い曲輪が主郭で、その一角に手城塚稲荷が祀られている。主郭の北側の堀は祐景堀と呼ばれている。
小諸市街から県道40号線で大久保橋の方に降りていく途中に案内板が設置されている。
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