長享元年(1486年)大井伊賀守光忠によって築かれたと云われる。
文明16年(1484年)村上正清によって岩村田の大井城は落城し大井宗家は衰退した。このとき大井光照は小諸へ逃れ、近くの宇当坂に館を構えたという。光照の子光忠は長享元年(1486年)に鍋蓋城を築き、光忠の子は鍋蓋城の支城として乙女城を築いた。これが小諸城の前身となっている。
鍋蓋城は近世小諸城の三ノ丸の北側に辺り、鍋蓋曲輪として小諸城代家老屋敷などが置かれていた。 遺構は特に残っていないようであるが、国道141号線と県道40号線本町交差点を西へ進んだ所に「大井伊賀守居城鍋蓋城城址」と看板を掲げた家がある。