信濃 大石城しなの おおいしじょう
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詳細不明。はじめの城主は大石太郎で、大石氏は禰津氏の為に滅んだという。長禄年間(1457年〜1460年)には禰津宮内少輔の代官岡村四郎兵衛、文正元年(1466年)頃には岡村四郎左衛門時則が居たという。
大石城は大石公民館の南東付近に築かれていたという。 「城畑」、「外城」などの地名が残っているが、現在は宅地や畑となっており明瞭な遺構はないようである。