築城年代は定かではないが寛永年間(1624年〜1644年)青山幸通によって築かれた。 尼崎五万石を領した青山幸成は幕府に分家願を出し、新田開発などによって実高五万四千石に増した領地の内、次男幸通に三千石を分与した。
それ以後幸通系青山氏が代々旗本として続き、水堂支配の陣屋として設けたのが水堂陣屋(代官所)である。
近年まで古い建物が残っていた水堂代官所跡も今は何も残っていない。 つい数年前までは古い邸宅が残り、その後も陣屋門などが残されていたのだがそれも解体されてしまった。なんとも勿体無い話である。