築城年代は定かではない。 「足利李世紀」に「天文10年(1541年)細川晴元の家臣木沢長政が原田城を攻めた」との記述が初出という。天文16年(1547年)には細川晴元の軍勢三万騎が攻め寄せて落城した。
天正6年(1578年)有岡城主荒木村重が織田信長に叛くと、有岡城攻めの付城として織田信長の家臣が在城したという。
城は小高い丘陵地帯に築かれているが、現在は市街地となって遺構は残っていない。
原田小学校の南西部の交差点を南へ行き、直ぐに左折して丘を登る道を行くと左手に標柱と案内板がある。
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