築城年代は定かではない。正玄寺を中心とした寺内町として発展してきた。
天正6年(1587年)有岡城主荒木村重が織田信長に反して籠城する。当初塚口城は有岡城の出城であったが、織田軍がこれを攻め落とし、有岡城攻めの付城の一つとして丹羽長秀、蜂屋頼隆、蒲生氏郷、高山右近、神戸信孝などが布陣した。
塚口城は阪急塚口駅の北東側一体で正玄寺を中心に築かれていた。
正玄寺境内に塚口御坊の案内板が設置されている。かつては周囲を土塁と堀が巡っており、南西に南町門、東に東町門、北東に清水町門、北西に北町門と四ヶ所に門があった。現状堀は水路として名残があるが、土塁はほぼ消滅しており、東町門脇の社が祀られている高台は土塁の名残である。