築城年代は定かではない。長享元年(1487年)の『如意庵領年貢算用状』に富松城の名が記されているのが史料上の初見とされる。
享禄3年(1530年)には細川晴元方の薬師寺国盛が富松城に楯籠もっていたが、細川高国方の攻撃を受けて落城、高国は富松城に陣を移して晴元方の勢力を一掃した。
天文19年(1550年)には伊丹城を攻めるため三好長慶が富松城に入っている。
富松城はこの辺りの平地で唯一遺構の残る中世城館であり、とても貴重な城である。
現在残る遺構は曲輪の北西隅部分で土塁と堀がある。北西の道路の交差点やバス停の名は「富松城跡前」で大変わかりやすい。