元和元年(1615年)青木一重によって築かれた。 青木氏は美濃国安八郡青木発祥の土豪で、今川氏真、豊臣秀吉、秀頼に仕えた。 大坂の役の前に駿府の徳川家康のもとに和議の使者として赴いたが、帰路徳川方に捕縛され出家して宗佐と号した。
同年、徳川家康に出仕して摂津国豊島郡・伊予国・備中国において一万二千石を領して麻田陣屋を築き、弟重家に二千石を分与した。その後も青木氏が代々続いて明治に至る。
螢池駅の西側にある蛍池公民館の所に石碑と案内板が設置されているが、現在は市街地となって遺構は残っていないが、 藩主屋敷表玄関が報恩寺、門が民家に移築されて現存している。
藩主屋敷表玄関(移築 御殿)
門(移築 城門)