築城年代は定かではないが永正元年(1504年)三宅出羽守国政によって築かれたと云われる。
天文16年(1547年)三宅出羽守国村は細川晴元に敵対した細川氏綱に味方したが、晴元の軍勢によって攻められ開城した。その後、晴元の家臣香西元成が三宅城に入り、晴元も在城したが、晴元と不仲となった三好長慶によって攻められ、晴元は丹波へ落ちていった。
三宅城は茨木市と摂津市との堺付近に築かれていたという。かつては本丸の南東隅と考えられる阪急京都線の中に石碑が建っていたということであるが、その石碑は東罐興業株式会社の敷地内(城之内の一角)に移されているようである。ただ、ここには入ることはできず、案内板があるが辛うじてフェンス越しに見ることができる程度である。
この他、三宅城に関係する石碑や案内板などがこの辺りに点在しているため、それを羅列する。
・蔵垣内公園(茨木市蔵垣内3:地図)に案内板と石碑
・摂津市千里丘東1の空き地(地図)に案内板と石碑
・三宅出羽守国村公碑(地図)
・防風庵跡(地図)