築城年代は定かではない。南北朝時代に楠木正成によって築城され、守護代を置いて守らせたとも伝えられる。
応安7年・文中3年(1374年)以降に摂津守護職となった細川頼之は福井城に守護代を置き、細川勝元の時代には秋庭備前守元明が守護代となっていた。
大永7年(1527年)細川高国と細川晴元との争いの中、高国方となっていた福井城は細川晴元によって攻められ開城し、廃城となった。
福井城は北の山塊から緩やかに南へ伸びた台地の上に築かれている。
福井城は南の県道付近の大手から北へ、三ノ丸(字城ノ畠)、二ノ丸(字城ノ内)、本丸(字本丸)、搦手と連なっていた。現在は大半が田畑となっている。西側の府道114号線沿いにある上福井バス停付近に案内板が設置されている。また、本丸の東側面に石積がある。