普門寺は明徳元年(1390年)説巌によって開かれた寺院である。
永禄4年(1561年)には管領細川晴元は三好長慶と和睦し、剃髪したのち隠棲したのがこの普門寺で、城郭化されて普門寺城とも呼ばれていた。永禄6年(1563年)晴元はこの普門寺城にて没した。
永禄9年(1566年)足利義栄は三好三人衆に擁されて普門寺城に入り、十四代将軍宣下を受けたが、在任期間はわずかであった。
普門寺城は現在の普門寺境内一帯に築かれていた。普門寺は枯山水の庭園が有名で、その一角に細川晴元の墓と伝える宝篋印塔がある。城の遺構は境内の北西部分に土塁が残されている。
お忙しい中、無理をお願いをしてわずかな時間だけお墓を見せて頂いた。土塁遺構は境内の北西部分にあるが、これは外側の道路沿いからでもフェンス越しに見ることができる。 ただどれほどの規模の土塁なのかははっきりしなかった。周囲の道路部分も一部低くなった地形もあり、堀も巡っていたのであろうか。