永正13年(1516年)に瓦林政頼によって築かれた。 政頼は越水城を築いて鷹尾城より居城を移したが、細川氏の内紛で細川高国方に付き、細川澄元によって攻められ、永正17年(1520年)開城した。
越水城を奪った澄元は家臣の三好氏を置いた。晴元が澄元のあとを継いで高国を敗ったが、今度は三好長慶が細川晴元と対立した。長慶は越水城を本城として勢力を拡大し戦国大名となった。
天文2年(1533年)には瓦林氏と一向一揆が越水城を攻め落とし、永禄9年(1566)年にも三好氏と対立した松永久秀と家臣瓦林三河守が攻め落とすなどしたが、その都度三好氏によって奪還されている。
城は丘陵に築かれ天守台や石積が残されていたというが、現在は市街地となり、大社小学校の南東部に石碑と案内板があるのみ。