摂津 天保山台場せっつ てんぽうざんだいば
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安政年間になると江戸幕府は朝廷側の不安に応えるため、大阪湾から木津川、安治川への海防強化を実施するべく、河口に四基の台場を築いて、各藩に防備を委任することになった。しかし、台場の構築は進まず、安政4年(1857年)には台場の仕様の再調査が命じられるなど、台場の構築は進んでいなかった。
元治元年(1864年)には天保山台場の構築が本格的に始まり完成したが、実戦は一度もなかった。
天保山台場は安治川の天保山一帯に築かれていたが、現在は埋め立てが進み遺構はない。