築城年代は定かではないが長元年間(1028年〜1037年)能勢頼国によって築かれたと云われる。 能勢氏は清和源氏頼光流で、山県国直の子国基が能勢郡田尻荘の地頭となり能勢氏を称した。
室町時代には細川氏の被官となり、能勢頼則は芥川城主となった。能勢氏はその後、明智光秀の本能寺の変に加担したともいわれ、一時領地を失い、豊臣秀吉の時代には薩摩島津氏の在京領として宛がわれた。
関ヶ原合戦で能勢頼次は東軍に属して戦功があり、旧領を回復した。大坂の役でも加増され一万石余りを領し地黄陣屋を築いた。 築城にあたっては丸山城から石材や木材が転用されたという。
丸山城は南へ伸びた丘陵の先端頂部に築かれている。
最高所を主郭として一段下がって帯曲輪が巡っている。北は土塁と空堀があってその先に一つ曲輪があり、北尾根は大堀切になっている。西山腹には斜めに落ちた竪堀や井戸のような穴が開いている。
近年木が伐採されて東側の木がなくなっている。東麓に駐車場があり、そこに案内板がある。もとは南西麓にある石塔の所から登っていたが、東からも登れるようになっている。
最寄り駅(直線距離)