築城年代は定かではないが永延年間(987年〜989年)に多田満国によって築かれたのが始まりとされる。多田満国は多田満仲の弟満快の子である。
建久元年(1190年)田口判官頼基が改修していらい累代の居城となり、天正7年(1579年)田口頼亮のときに織田信澄に攻められて落城したという。
宿野城は宝林寺の南東、南へ伸びた尾根の上に築かれている。
単郭の城で堀切はなく、周囲に切岸を配して曲輪を造成している。北にはやや分厚い土塁があり、西側面にも土塁がある。虎口は南と北西にあり、特に南の虎口は入った正面に列石があって一段低くなっており、右折れで入る構造になっているが、城の遺構というよりは後世の改変のような感じがする。
宝林寺から入る道がある。
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