築城年代は定かではないが寛弘年間(1004年〜1012年)に大町氏によった築かれたと云われる。
天文年間(1532年〜1555年)頃の城主は大町右衛門尉宗長であった。天正7年(1579年)大町豊後守宗清のとき、織田信澄によって攻められ落城したという。
山辺城は能勢富士とも呼ばれる標高433mの城山に築かれている。
主郭部は山頂にあり、一段低い鞍部を挟んで東西二郭の曲輪があり、西が本丸、東が二の丸とされる。本丸の南東隅に虎口がありこの辺りに石垣が多用され、その脇には大きな石が並んでいる。本丸周辺には石積が点在しており、石垣が多用されていたことを伺わせる。
南へ伸びた尾根に一段小高くなったのが三の丸とされ、中央やや北側に虎口状の地形があり、現状ではそこへ遊歩道が繋がる。北下の二の丸との間に一段低い曲輪があり、そこから東下の帯曲輪へ繋がる。
東の鞍部から東尾根へ降って行くと土塁囲みの出丸があり、西と北に虎口を開く。東側面は横堀、南西側も横堀状の地形がある。ここからさらに北東下に降ると、もう一つの出丸があり、こちらも土塁が付いて北尾根は土橋の架かる堀切になっている。
遊歩道があるがどこから続いているのか不明。南山腹にある団地の上段から谷筋を少し登ると東尾根に出る。
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