築城年代は定かではない。石見吉見氏初代の吉見頼行の居城と伝えられる。
吉見頼行は一本松城を築いて居城を移し、その後は吉見氏の支城の一つとなった。 室町時代には吉見氏の家臣長野美作守が城主であった。
御嶽城は石見国(島根県)と長門国(山口県)との境に聳える標高504mの山頂に築かれている。現在は山頂部に小さな社が祀られ、良く整備されている。
御嶽城は山頂の主郭から南東、北東、北西の三方の尾根に曲輪を配している。 主郭は山頂から南東尾根側に続く四段ほどの曲輪で、最高所の段は北側に土塁が付き、小さな社が祀られ隣に石碑が建っている。
南西尾根は二条の堀切で遮断し、北東の尾根には長い曲輪の先に腰曲輪が付き、南山腹に竪堀を設けている。北西に続く尾根にも曲輪と岩場が続き、北端の曲輪は東西両側が突き出す形で外側に幅広の堀か虎口のような地形になっている。
「島根県中近世城館分布調査報告書」に掲載されている縄張図では、南方の愛宕神社とそれに通じる稜線に出丸があるとしているが、愛宕神社の所はともかくとして稜線状にある平段は城郭遺構のようには思えなかった。
登りは西迫集落にある愛宕神社から尾根伝いに登っている。こちら側は特に道は付いていないが、尾根伝いに歩く分には苦労しない。
登山道入口の標識は東麓の本郷集落にあり、帰路は確かにここに出てきたのだが、下山に利用した道は谷間の沢沿いに降りてくるもので、これが登山道とは思えない。途中の四差路で一番良い道は北へ続いていたので、ここから分かれた道が谷の北尾根から通じていたのかもしれないが、途中の山道には一切道標が出ていない為に正しい登山道は不明である。登られる際は地元の方に確認するのが良いだろう。(登山口の道標が出ている所)
最寄り駅(直線距離)