築城年代は定かではないが永正元年(1504年)頃に益田宗秀(黒谷因幡入道長親)によって築かれたと云われる。
黒谷長親は七尾城主益田兼見の子で、下黒谷地頭職として入部し原城を築いたと云われる。この長親の孫が横山城主となった喜島備後守宗勝である。
原城は二条川と湯田川が合流する地点の北峰に聳える標高160m程の山に築かれている。
主郭は山頂にあり小さな石碑が建っている。主郭から東へ伸びた尾根に階段状に曲輪を配しており、一部北側に削り残しの土塁が付いている。西斜面には一条の竪堀があり、北へ続く尾根には浅い堀切と、それに面して土塁が付いている。
県道14号線沿いに原城跡入口の道標が出ており、整備された山道が山頂まで付いている。縄張図入りの案内板がそこから西へ200m程行った商店の脇にあり、「黒周町案内図」の一郭に原城に関する記述がある。
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