築城年代は定かではないが鎌倉時代末期に吉見頼右によって築かれたと云われる。
吉見頼右は津和野城吉見頼行の弟で三河国から下向し下瀬山城を築いて下瀬氏を名乗った。 下瀬山城は約20km離れた津和野城へ山伝いに行くことができるらしく天文20年(1551年)陶氏が津和野城を攻撃されると下瀬山城も益田氏によって攻められたが連絡を密にして攻撃を凌いだ。
関ヶ原合戦後、毛利氏が防長2ヶ国に減封となるとこの地を去り後に津和野城主となった坂崎氏の所領となったが一国一城令によって廃城となった。
下瀬山城は標高316.8mの下瀬山山頂に築かれている。
主郭は山頂から北東方向に長く、その下方に帯曲輪を扇状に拡がるように重ね、下段は土塁や列石がある。主郭の北端と東端部には下瀬山城主であった五代頼重と六代頼郷の墓がある。
主郭の南西端に堀切があり、その下方にさらに小郭、南東へ続く尾根にも段曲輪を配している。
以前は北の国道から山へ取り付き登ったのだが、今回は主郭の南東尾根下まで続いている林道を利用してアクセスした。
林道は北麓の国道から南へ曲がって県道を進んでいくと城への道標が出ている。そこの細い橋を渡りさらに進むと未舗装林道への入口がある。山頂の南東鞍部まで未舗装林道が続いており、終点に広い駐車場があるが、林道は両脇から草木が張り出し、落石や倒木もあるので走行には注意が必要である。
最寄り駅(直線距離)