築城年代は定かではない。はじめ三本松城主吉見氏の出城で臼井左京亮あるいは秋山筑後守広道が城主であったが、天正年間(1573年~1592年)に七尾城主益田氏によって攻められ落城、その家臣大谷与三左衛門が守将となったという。
鰐坊山城は田万川河口にあり、南西に伸びた尾根の先端部に築かれている。
鰐坊山城は堀切1、堀切6で区画された曲輪群Iと曲輪群IIで構成されている。
曲輪群Iは大きくI1からI3に分けられ、南側にスロープが付いて連絡路となっている。曲輪I2は特に北側に列石や石積が多く確認できる。
主郭背後の堀切は堀切6が岩盤を削った大堀切で、細尾根の先に堀切7、8、9の三条の堀切がある。北東端の堀切9は幅広の堀切の内側にさらに堀切が深く入りこむような形になっていて珍しい構造である。
曲輪IIは曲輪Iを造成する前の主郭と考えられる。II1は東端から北側にかけて土塁があり、一部石積みを伴う。西下に向かってII2、II3と小さな段差で曲輪が続く。北下には東西に長い曲輪II4があり、この辺りにも石積みがあり、東端の堀切1に面している部分は石塁になっている。堀切1も岩盤大堀切で北側の竪堀は麓まで落ちている。
現在法面工事中であった。II3に簡易水道タンクがあり、そこに登る階段が下の道路奥に付いているので、ここから入るのが簡単だが、II2までは鬱蒼とした竹やぶになっている。
駐車場は川の西側、田万川キャンプ場が利用できる。
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