詳細不明。鎌ヶ山城についてはじめ益田家臣森氏の城であったが天文年間(1532年~1555年)頃には吉見氏の属城となっていたという。
千疋城は鎌ヶ山の北にある標高367mの山頂に築かれている。「千疋城」は『山口県中世城館遺跡総合調査報告書-長門国編- 』による名称で、『田万川町史』はここを鎌ヶ山城とする。『日本城郭大系』は標高300mとあり、どの位置を示しているのか不明である。
単郭の小さな城で、主郭となる山頂部は中央に円形で窪んだところがあり、その周囲だけわずかに平坦であるが、ほぼ傾斜している。
北尾根を堀切1、南尾根に堀切2を遮断するが、西は堀切はなく、東側も切岸下が緩傾斜面になっているが堀状の窪みは見当たらない。
主郭部から南に下った尾根の先端下に堀切3と思わる窪みがある。この上の部分はわずかに加工されているが、曲輪とするほどの加工度はない。
主郭の南東にある標高356mの峰が物見台と伝えれる。この部分はわずかに加工された痕跡があるが、切岸や堀など明瞭な城郭遺構は見当たらない。
道はない。鎌ヶ山との間にある林道から取り付いて登る。主尾根まで登ると歩きやすい尾根道になる。
最寄り駅(直線距離)