天正19年(1591年)豊臣秀吉によって築かれた。
豊臣秀吉は唐入りを目指して朝鮮半島への出兵を決めると、肥前名護屋を本城とし、対馬と壱岐にそれぞれ拠点となる城を築いた。対馬に築かれたのは清水山城で、壱岐に築かれたのがこの勝本城である。
勝本城の築城は平戸の松浦鎮信に命じ、有馬晴信、大村喜前、五島純玄にこれを支援させた。天正19年(1591年)に完成すると豊臣秀長の家臣本多因幡守正武が入城し、慶長3年(1598年)まで在城した。秀吉の没後、その役目を終え、江戸時代に破却された。
勝本城は壱岐島の北、勝本港に面した標高78.9mの城山に築かれており、現在は城山公園として整備されている。
現状は単郭の城で山頂の主郭下に一段帯曲輪らしきものが取り巻いている。主郭は北に大手があり石垣造りの枡形虎口である。
城山公園に駐車場がある。