天正19年(1591年)豊臣秀吉の命によって築かれた。
豊臣秀吉による文禄・慶長の役で肥前名護屋から朝鮮半島への重要拠点として築かれた。築城者は対馬に常駐していた秀吉の軍監毛利高政とする説が一般ではあるが、対馬の宗氏を主として相良長毎、高橋直次、筑紫広門が助力したという説もある。
清水山城は厳原港の北に聳える標高219mの清水山に築かれており、現在は国指定史跡として登山道が整備されている。
清水山城は山頂の本丸から南東の尾根先へ二の丸、三の丸を配す。清水山城の特徴としてこの本丸から先端の三の丸までの尾根を石垣で固めていることにある。このため尾根を登っている部分は登り石垣のようになっている。
本丸は山頂にあり二の丸に面する南東側と背後の北西側に虎口を開き、南東側は二重の虎口になっている。ただ曲輪としては岩場が残る自然地形で削平地はほとんどない。
二の丸は城内でもっとも整備された曲輪で三の丸側の東虎口は枡形、南と西は平入ながら櫓台が隣接する。
三の丸は細長い尾根に石塁が続く。中程には櫓台のような石垣、虎口などが残されている。
尾根先側には堀切は確認できないが、本丸から西背後の山に幅広い堀切が一条残っている。
対馬歴史民俗資料館から登山道への道標がある。車は対馬歴史民俗資料館に駐車できる。