対馬 宗重尚屋敷つしま そうしげひさやしき

城郭放浪記


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対馬 宗重尚屋敷の写真
掲載写真数
形態
居館
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣
城 主
宗重尚
歴 史

対馬島主の初代とされる宗重尚の屋敷と伝えられる。宗重尚は鎌倉時代の寛元3年(1245年)に対馬在庁の阿比留平太郎が反乱を起こしたため、筑前から兵を率いて対馬に渡り、反乱を平定して対馬の地頭に補任されたと『宗氏家譜』では伝えられるが、現在の研究では比定されているようである。

この宗重尚が晩年を過ごしたのが内山村のこの屋敷と伝えられ、近くにある木武古婆神社に宗重尚の墓所がある。

説 明

宗重尚屋敷は地元では『殿様の屋敷跡』と伝えられており、木の根っこの辺りにお参りして小さな祭を催していたという。この近くにはl字になった石塁があるが、いつの時代のものかははっきりしない。この近くにはお寺があり、その辺りには古い石塔群がある。このお寺の名前は隣に住んでいる人も知らないようであった。

所在地/地図
長崎県対馬市厳原町内山
付近の城(直線距離)
6.4km 対馬 金石城
6.7km 対馬 池の屋形
6.7km 対馬 清水山城
6.9km 対馬 中村屋形
7.6km 対馬 桟原城
最終訪問日
2015年10月
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