対馬島主の初代とされる宗重尚の屋敷と伝えられる。宗重尚は鎌倉時代の寛元3年(1245年)に対馬在庁の阿比留平太郎が反乱を起こしたため、筑前から兵を率いて対馬に渡り、反乱を平定して対馬の地頭に補任されたと『宗氏家譜』では伝えられるが、現在の研究では比定されているようである。
この宗重尚が晩年を過ごしたのが内山村のこの屋敷と伝えられ、近くにある木武古婆神社に宗重尚の墓所がある。
宗重尚屋敷は地元では『殿様の屋敷跡』と伝えられており、木の根っこの辺りにお参りして小さな祭を催していたという。この近くにはl字になった石塁があるが、いつの時代のものかははっきりしない。この近くにはお寺があり、その辺りには古い石塔群がある。このお寺の名前は隣に住んでいる人も知らないようであった。