宗重尚の墓そうしげひさのはか
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宗重尚は対馬島主の初代とされ、寛元3年(1245年)に対馬在庁の阿比留平太郎が反乱を起こしたため、筑前から兵を率いて対馬に渡り、反乱を平定して対馬の地頭に補任されたと伝えられる。重尚は晩年に内山村の宗重尚屋敷に隠棲してこの地で没した。
宗重尚の墓は木武古婆神社(むこばじんじゃ)の境内にある。元々は宗重尚の墓があり、江戸時代の文化7年(1810年)に祠を建てたのが木武古婆神社の前身という。
内山集落から県道24号線を東へ走っていくと神社がある。