宗重尚の墓そうしげひさのはか

城郭放浪記


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宗重尚の墓の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
なし/不明
説 明

宗重尚は対馬島主の初代とされ、寛元3年(1245年)に対馬在庁の阿比留平太郎が反乱を起こしたため、筑前から兵を率いて対馬に渡り、反乱を平定して対馬の地頭に補任されたと伝えられる。重尚は晩年に内山村の宗重尚屋敷に隠棲してこの地で没した。

宗重尚の墓は木武古婆神社(むこばじんじゃ)の境内にある。元々は宗重尚の墓があり、江戸時代の文化7年(1810年)に祠を建てたのが木武古婆神社の前身という。

宗重尚の墓の写真
3:木武古婆神社
案 内

内山集落から県道24号線を東へ走っていくと神社がある。

所在地/地図
長崎県対馬市厳原町内山(木武古婆神社)
付近の史跡(直線距離)
4.8km 対馬藩お船江
6.2km 万松院
6.3km 対馬国府
6.8km 少弐嘉頼の墓(太平寺)
7.1km 対馬藩家老氏江屋敷
7.8km 宗助国の首塚
7.9km 宗助国の胴塚
9.6km 小茂田浜神社
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