少弐嘉頼の墓(太平寺)しょうりよしよりのはか
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少弐嘉頼は少弐満貞の子である。永享5年(1433年)少弐満貞は大内持世との戦いで敗れて討死すると少弐氏は没落し、嘉頼は家臣とともに宗家を頼って対馬へと落ちてきた。元服して嘉頼と名乗ると、宗貞盛は三根に公方館を築いて嘉頼を迎え、三根公方と呼ばれた。
少弐家再興を計って何度も挙兵するも敗れ、再興かなわず嘉吉元年(1441年)に没した。