少弐嘉頼の墓(太平寺)しょうりよしよりのはか

城郭放浪記


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少弐嘉頼の墓(太平寺)の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
なし/不明
説 明

少弐嘉頼は少弐満貞の子である。永享5年(1433年)少弐満貞は大内持世との戦いで敗れて討死すると少弐氏は没落し、嘉頼は家臣とともに宗家を頼って対馬へと落ちてきた。元服して嘉頼と名乗ると、宗貞盛は三根に公方館を築いて嘉頼を迎え、三根公方と呼ばれた。

少弐家再興を計って何度も挙兵するも敗れ、再興かなわず嘉吉元年(1441年)に没した。

少弐嘉頼の墓(太平寺)の写真
2:少弐嘉頼の碑
所在地/地図
長崎県対馬市厳原町中村(太平寺)
付近の史跡(直線距離)
0.3km 対馬藩家老氏江屋敷
0.6km 万松院
0.6km 対馬国府
2.3km 対馬藩お船江
6.4km 宗助国の首塚
6.8km 宗重尚の墓
7.0km 宗助国の胴塚
9.4km 小茂田浜神社
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